山下新太郎《峯子》

1924(大正13)年
水彩、鉛筆・紙、15.8×13.8㎝

山下家の三女、峯子は1923年9月18日に誕生します。直前の9月1日には関東大震災が起こりました。妻の誉花(ヨハナ)が避難の際に転倒して腹部を打ったことを山下は心配したそうですが、峯子は安産で生まれてきたそうです。その前の年に長女の百合子が亡くなったため、峯子は百合子の生まれ変わりと考えて、山下は過保護なくらいに峯子を大事にしたそうです。画面の右上には漢字で「峯子」、右下には、サインとともに、フランス語で1924年2月と書かれており、生後5カ月ほどの峯子を描いたものであることが分かります。緑とピンクを基調色とした柔らかなタッチの水彩で描かれた峯子の姿です。赤子らしいふっくらとした赤みを帯びた頬が愛くるしく、山下のわが子を愛おしむ感情が伝わってきます。