山下新太郎《ヨハナ》

1911(明治44)年
コンテ、鉛筆・紙、8.0×6.9㎝

山下は、1910年の帰国の年に、友人の画家・有島生馬の紹介で、日本人とドイツ人のハーフである誉花(ヨハナ)と結婚します。この作品は、結婚の翌年の1911年に描かれました。コンテで素早く描いた妻の誉花は眼を閉じており、親しい人にしか見せないであろう寝姿に、夫婦の親密さが伝わってきます。誉花は、ブリヂストン美術館、現在のアーティゾン美術館に所蔵されている、第2回二科展の出品作である《供物》でもモデルを務めています。その後、誉花は、1912年に長女の百合子、1914年に長男の登、1919年に次女の和子、を産みます。しかし不幸なことに1922年、長女の百合子はわずか9歳で早世しました。そしてその翌年の1923年に、三女の峯子が生まれたのです。